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HEX calc pro 1.00

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    エンジニア向けの16進と浮動小数点を混在して入力出来る計算機 。 Version 1.00 高機能な 16進電卓や科学計算電卓はありますが、いちいちモードを切り替えなければならず、最大の問題は16進数と小数点値を同時に使用出来ないことです。
    詳しい説明はここ
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ATT calc

  • ATT calc ver2.00
    iPhone 用 RF アッテネーター計算ソフトです。  RF開発エンジニアに必要な、 dBm - W 換算機能をはじめ、π型やT型の ATTを 設計する上で、必要な dB値から抵抗値を算出する機能と、 E24系列の抵抗値を 使用したときの減衰量(dB)と整合インピーダンス(Ω) が表示されますので、どの 抵抗値の組み合わせがよいか検討できます。  また、正確な値を必要とする場合に2個のE24系列抵抗を並列接続して理想の値を 求める計算機能も持っています。  操作はピッカーホイールを回すだけですので、実験中でも片手で簡単に操作 できます。

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    RFエンジニア向けフィルター計算ソフト LPFやHPFの設計をするときに、いちいちパソコンを起動してフィルタを設計、結果をプリントアウトして、実験室に行ってネットワークアナライザで測定・実験、ちょっと修正したい時にまたパソコンの所にもどって、再計算...というのが結構面倒で、手軽にiPhone で計算できるといいいなと思って作りました。

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技術

2012年7月12日 (木)

テクノフロンティア2012に行ってきました。

昨日11日は東京ビッグサイトで行われている、テクノフロンティア2012RADブース説明員として参加してきました。
今日はお休みで、最終日13日(金)にまた参加しますので、髪の毛がいちばん個性的な説明員にSUDOTECKさんとお気軽にお声がけください。
まずは混雑情報
 開会の10時前には長い行列で、事前受付も各列20人ぐらい並びます。奥の5・6ホール入り口近くの受付の方がすいていました。午後1時頃も午後からの参加者が増えますので、同じぐらいの混みぐあいです。お昼前の11時すぎが空いている時間ですね。
合間にブースを見てくると
 まずは リニアテクノロジー µModule といって,コイルも FETも入った絶縁型の電源モジュールで、LTM8048は出力にノイズを減らすためにLowDropタイプのシリーズレギュレターが入っています。出力雑音は300mA時で 20µV となかなかです。BGAタイプなのが難点ですが、11.25mm X 9mm と超小型です。20120712_81814
STではUnknown PowerFlat という小型 MOS-FETパッケージが宣伝されていました。5mm X 6mm という小ささで、30V 25A 12.5A流したときに ON 抵抗が 3.5mΩと小さい。ドレインが幅広パッドになっていて、熱抵抗が 1.56℃/Wまで下げられるそうです。
 日本ケミコンでは高耐圧フィルムコンデンサーを見てきました。実は展示されていたKENWOODの基板に以前から何かなと思っていた銀色に光るSMDコンデンサー(リンクのRetin MBP の基板ではCPUの下、R30と書いてあるSMDインダクターの下側にたくさん使われています)があったので、説明員に聞いてみると色々な人が見てくれましたが、結局解らずじまいでした。みなさんご協力ありがとうございました。横から見るとさらに変わった形でしたので、ひきつづき探してみます。
RADブースは
 初出展ですので、なじみのお客さん以外の入りはほとんどないですが、ZENシリーズのRFAMPの筐体を開けて展示してあります。いまではなかなか見られないワイヤーの引き回しや束線、セミリジッドケーブルなどアマチュア無線家や測定器業界の方ぐらいしか興味を引かないようですが、今日からはもしかすると、アンプシールド部分も開けて、もうちょっと中まで見せようかと言っていました。


Photo


2012年6月11日 (月)

アナログ技術者の道のはなし

アナログ技術者の道とは
 マイナビで連載された、同名の記事ですが、最終回の

「アナログ技術は業界全体で人数/知識ともども不足気味」
....「アナログ」という言葉は「レガシー」というイメージがあるとおり、はるか100年以上前から用いられてきている電子応用技術です。そういう意味では確かに古い、枯れた技術であると言えるでしょう。
しかし現代では、その技術伝承が上手くなされておらず衰退してきており、とくに中堅から若手の技術者はその人数、技術知識がだいぶ少ないという現状があると思います。

の意見は全く同感です。
 私が電子回路技術者になった頃は、いわゆる「デジタル」「アナログ」の分野の区切りはなく、デジタルICは電子回路の一部に使われる程度で、まだ A/Dコンバーターでデジタル化という時代ではありませんでした。CDやBSデジタル放送などのデジタル機器が広がるにつれ、PLL-IC や D/Aコンバーター ICなどが専用デジタルIC が広がってくると、ICの中身を理解するのではなくブラックボックスとして「使い方のノウハウを覚える」技術になってきたのかと思われます。
 勿論デジタル技術はその後 CPU の発展と共にソフトウェアで処理する、柔軟な技術として発達してきたのですが、周辺を動かすハードウェアが高速化につれて、高速伝送や反射・位相の重要性などアナログ的解析が必要になってきたのが現在ではないでしょうか?
 昔ソフト1年アナログ10年と言われて、技術者の養成の困難さが言われましたが、逆に言えば現在は、専門的に徹底して追究すれば報われる...アナログ技術者のチャンスの時代ではないでしょうか。

Saibridge
1996年South Africa のGamma自然公園で...観光用のバスにサイが近寄ってきて危なかった..。デジタルセットトップボックス開発でちょっと時間が出来たときのご褒美で、1泊のバケーションでした。


2012年1月 9日 (月)

電子工学へのきっかけ

電子工学へのきっかけとは
 私がどうして電子工学に興味を持ったのかという原点を思い出してみました。
小学生のころはやはり、プラモデルやモーターで動く車なんかを作っていて、当時はスロットレーシングカーなどといって、溝のあるコースにレールみたいな電極があって、車がブラシでそこを接触しながら外部からの電源コントロールで走るやつでした。自宅で電池で動かしているとすぐ電池がなくなるので「いまいちだなー」とおもっていたところ、当時の「子供の科学」などという本の宣伝にあった「太陽電池付きキット」に目がいったのが始めのきっかけですね。Mk000a2
 それは「マイキット」という名前の電子回路を実験するセットだったのですが、どうもこの「太陽電池」だけに目がいってしまっていて、親にせがんで(めったに買い物をせがんだりする子供ではなかったので、結構高いものだったらしいが..)買ってもらい、さっそく太陽電池でモーターを動かしてみると全然動かない。電圧は 0.5V で数mAしか流せないので当たり前ですが、しかしながら説明書を見るとなんと「ラジオ」が作れるらしいので、ちょっとやってみることに.....。
 部品はボードにすべて付いていて、それぞれの端子にはバネみたいな物に接続されているので、使う人は両端が剥かれたリード線で接続するだけでいいので、子供でも簡単でした。
 田舎なのでアンテナがないと音が非常に小さい。確かAC100Vの電灯線をアンテナとして使うように高耐圧のマイカコンデンサーがついており、ドキドキしながら電源コンセントに線を繋いだ覚えがあります。
ハード的には
 どのような物が作れたかはあんまり覚えていないが、取説を紹介しているサイトがあったので、見てみると、この初期型よりちょっと後のやつだったような気がする。スピーカーもついていて、親父が誤ってふんづけて壊したのを泣きながら怒った覚えがある。次の日親父はもっと大きいスピーカーを買って来たのですが、今思うと、どこから買った来たのだろうか?当時はキットやパーツ店など無かったので、懇意にしているラジオ屋を廻ったのだろうと思う。
 そういえば親父は自分で写真を焼くほど趣味に没頭するタイプで、それが講じてか私には顕微鏡とか、ビーカーとか、メスシリンダーとか科学的なものは頼むとよく買って来てくれた。
ソフト的には
 電子回路というのは不思議な物で、ちゃんと繋がないと動作しない。繋がって動作していても、そこに電流が流れているか、電波が来ているか見えない。見えない物なんだけど、確かに存在する。そんな不思議な物につきあって、エンジニアになってしまったのですが、今思うとあの「太陽電池」がなかったら...もしも当時の太陽電池がパワフルでモーターが動いてしまったら...電子回路エンジニアにはなっていなかったかもしれないなぁ。

2011年12月17日 (土)

FUKUSHIMA Project のはなし。

昨日福島原発の冷温停止が宣言されましたが、やっぱり「完全停止には50年かかる」との友人の話を改めて思い出しました。そして今日日経Tech-ON の記事で FUKUSHIMA Project を知りました。
 その記事の中で筆者 山口栄一氏(同志社大学 教授)の以下の文に共感しました。まさに原発関連の仕事に従事する私の高校時代の同級生の話と一致していたからです。

----------------------- 以下引用 --------------------------------------
 筆者は、多くのエンジニアの方と接し、本来、彼らは「想定外」を嫌う人々なのではないかとの思いを抱き続けてきた。「原子炉は絶対に安全だから、その安全を疑ってはならない」という会社の方針自体は「非科学的」である。そうであれば、あればこそ「想定外」のことが起きてもきちんと作動する「最後の砦」を設けなければならない。エンジニアであれば、そう考えるのが当然なのではないかと考えたのである。
 その想像が当たっていたことを知ったのは、3月29日のことだった。「最後の砦」が実はすべての原子炉に設置されていたのである。それは、たとえ全交流電源が喪失したとしても、無電源(または直流電源)で稼働しつづけて炉心を冷やす装置であって、1号機では「非常用復水器」(IC)注4)、2~3号機では前述のように「隔離時冷却系」(RCIC)という。「非常用復水器」の進化形だ。

注4)Isolation Condenser。正確には「隔離時復水器」という。

 前者の「非常用復水器」(IC)は、電源なしで約8時間、炉心を冷やし続けるよう設計されていた。後者の「隔離時冷却系」(RCIC)は、直流電源で炉心を20時間以上冷やし続ける。
「最後の砦」があれば、地震後にこれらが自動起動したか、運転員が手動で稼働させるのは当然である。それをしなければ、原子炉は「制御不能」になるのは自明のことだからである。そして、「最後の砦」が働いて原子炉を「制御可能」に保っている間に、なるべく早く対策を講じなければならない。冷やし続けられなくなれば、原子炉は「生死の境界」注5)を越えて熱暴走し、「制御不能」になってしまう。

注5)「制御可能」(原子炉の炉心がすべて水に浸った状態)と「制御不能」(原子炉の炉心の一部が水に浸っていずそこが空焚きになる状態)の境界。「最後の砦」が止まってからその境界に至るまでおよそ4時間の猶予がある。いったん原子炉が「制御不能」の次元に陥れば、「制御可能」に引き戻すことは「人知」ではできない。その境界の内側(「生」の側)を「物理限界の内側」、外側(「死」の側)を「物理限界の外側」と呼ぶことにする。

 ただ、地震で外部からの電源がすべて絶たれた状況では、その復旧が数時間でなされるということに大きな期待を抱くわけにはいかない。現実的には、敷地のタンク内にある淡水をまず使って冷やし、同時に「海水注入」の準備をし、淡水がなくなる前に海水に切り替えるしかないだろう。

 簡単な理屈である。けれども、それは実行されなかった。なぜなのか。
--------------------------------------------------------------------------

詳細は FUKUSHIMA Project Tech-ON 記事日経ECOJAPANの記事などを参照して頂きたいのですが、自分の作った・開発したものに対する技術・安全への追求は、現場を知っているエンジニアスピリットだと思うのです。 それを阻害する企業の誤った判断は追求されてしかるべきだと思います。

2011年7月14日 (木)

Ferrariの4人乗りミニクーペ

Ferrariの4人乗りミニクーペ
20110714_221650
 があったらいいなぁ...という画像を作ってみました。
ゆったり4人乗れて、形はクーペで、サイズは小さく、内装は豪華に...
値段は手の届くぐらい....エンジンは MAZDA SkyActive でもどうでしょう?


2011年2月 9日 (水)

ソフトが解らなかった上司たち

ソフトが解らなかった上司たち
1)コンピューター黎明期Images
 私が最初にCPUの話題にであったのは大学4年(1975年)で、大学祭で当時はやりのアナログテレビゲームの「ピンポン」のハードを分担され、出来た基板をクラスメートの下宿に持って行った時でした。
 彼は6800というモトローラ製のCPUを見せてくれ、分厚いマニュアルを読んでいました。「これからはアナログのハードでなくてソフトでゲームが作れるんだ」とゲートICがいっぱい並んだ回路図を説明してくれました。当時大学のコンピューターはいわゆるオフコンで、プログラムを書くのは一行毎のパンチカード、結果はラインプリンタからというもので、プログラム修正するにもカードの打ち直し、プログラムのバックアップはテープ出力するなど、大変面倒なものでした。そんなコンピューターがゲームに使えるなんてちょっと信じられない時代でした。
2)就職してCPUに出会うS_hitachihd6805v
 就職して始めはホームオーディオセットの試作・検査が主で、まさにアナログの世界でしたが、はやりはじめたCBトランシーバーの開発で PLL-ICの駆動と7セグメントLED表示にコードスイッチからいかに安くコード変換するかで、デジタル回路設計が始まりました。そして始めてマイコン搭載のインターフォン開発で日立の HD6805 のプログラミングを任されたのでした。マイコンを開発するなら必要だ..と当時300万以上した開発ツールを購入してくれました。8インチフロッピーでの起動・コンパイルで、もちろん全てアッセンブラでした。
 ソフトは2種類のトーンを使った8ビットのコードで子機を識別するもので、内蔵の分周器でクロックを分周したトーン信号を発生し、受信時は復調した信号を整形し一定時間のパルス数を検出してコードを受信するものでした。まさにいままでアナログのフィルターや共振子を使ったトーンデコーダーをCPUで代替できた製品でした。
3) 世界初のCPUコントロール衛星放送チュナーBj200mkiii
 転職して初めての仕事はハンディスキャナーという当時警察無線やハムバンド、航空無線などのチャンネルをメモリーして順次スキャンして聞ける製品がはやっていましたが、当時はまだワンチップCPUの開発環境はインサーキットエミュレターなど非常に高価で、主に開発はソフトウェアハウスがメインでした。自社ではハードとコントロールのソフト仕様開発を任され、LCD表示、キー操作仕様、各種ICコントロールなどを設計し4Bitマイコンの開発をソフトハウスに依頼して調整する役目をしました。この開発でハードをコントロールするためのCPUのスピードの限界・アナログハードをコントロールする時の「時間待ち」の必要性などを、ハードの全く解らないソフトハウスのプログラマーに理解させるのに苦労しました。 この後に関連会社の開発しようとしている、世界初のCPUコントロール衛星放送チュナーのハード設計にはZ80を使ったマルチチップ構成で必要ポートやシリアル通信、赤外線リモコンなど出来るだけソフトの負荷が減るようなハードの構成で設計しました。ソフト開発は当時アメリカで開発され、その後アメリカへのOEMとして完成・出荷できました。
4)自社開発衛星放送チューナーSl7700s
 自社で衛星放送チューナーを作ろうということで、当時安価になってきた NEC uPD7801の開発環境を整え開発環境もPC9801などのパソコンでもできるようになってきました、32KBぼどの小さなサイズでしたが、自社オリジナルでコントロールソフトの開発、衛星アンテナのモーター制御機能の追加などを経て主に海外向けに出荷し、国内CS受信機として放送局にも納入される製品も開発できました。
5)アナログまっただ中のCPU応用
 直近の仕事ではパワーアンプの電流・電圧・温度を検出してアラームを出したり、デバイスのバイアス電流を制御してリニアリティ向上をコントロールするセットでした。最近の高速ADC/DACやDSPを応用すればアンプのリニアリティが向上できるなどの開発も追究しましたが、コストとのバランスで実際には製品化は出来ませんでした。
 これらCPU開発を通じて1つ感じた点が「ソフトが解らない上司たち」の存在でした。それはどういう点かというとまず
1) 上司達の年代では、論理和・差・積など集合論を普通教育で習っていない。
 アンド・オア・ノット などゲートICの働きがぴんと来ないので、「こののノイズを取るには01Hでマスクして」などという説明が通じない。ソフト上のコミュニケーションが取れない。
2) パソコンと組み込みCPUの違いがよく分からない
 従来手書きや計算機で設計を経験した上司達がパソコンを使い始めるとその性能に驚くからか、メモリーが豊富でソフトが色々あるパソコンと同じようなことが、CPUと言うだけで組み込みCPUで同様に出来ると思ってしまい、「メモリーが足りない」とか「スピードが追いつかない」などの理由が分からず、「ソフトが大変になるのでごまかしている」と思われてしまう。また「無線LAN」や「インターネットサーバー」機能などがハードだけですぐに実現できると思っている。
3) 自社で開発するならソフト追加・変更はいつでも「タダ」だと思っている
 自社でプログラマーを雇い、開発装置を買えば後の経費はかからないと思ってしまう「設備思考」からか... プログラマーがミスが起こらないように考えて分割・仕様設計してデバッグを続け、ようやくバグが取れてきたなと思った段階で、仕様追加・仕様変更をされる。後段での仕様変更がいかに難しいか、その後の検証が大変になるかが実感として解らないので「できないの?」と言う。確かに出来るのですが...。
4) サンプルが動くと「もう出来た」と思ってしまう
 必死でサンプル出荷に間に合わせたら、もう次の日には量産できると思ってしまう。ソフトの検証・信頼性チェックがどれだけ大切で時間がかかるのかが理解できないので、下手をするとバグだらけのセットを出荷されてしまい、あとで回収・ROM交換なんて悲劇が起こってしまう。
5)CPUはクロックが早ければ、8Bit より 16Bit ,32Bitならば性能が良いと思ってしまう。 そんなCPUを使えば出来るだろうと言いながら、価格が高くなると「なんでそんなに高いんだ」と文句をいう。
ソフト的には
 今回のテーマは「ソフトが解らなかった上司たち」ですが、アナログ・ハード技術者のみなさんにも心当たりはありませんか?これからはソフト開発にも「アナログのノウハウ」を伝えないと製品が出来ないことがますます増えてくるかと思います。お互いコミュニケーションを大事にしてゆきたいですね。

2010年12月 2日 (木)

自分で調べるのはなし

自分で調べるとは
 解らないことがあると、会社では詳しい人に聞けます。しかしながら詳しい人がいない場合は自分で調べるしかありません。私自身「自分で調べる」しかなかった環境でしたのでそれが普通なんですが、妻などはなにかパソコンの操作法で解らないことがあると私に聞いてそれで「すぐ」解決します。
調べるには本しかなかった時代
 昔はインターネットなどなかったので、組み込みCPUのソフトを作ろうという時には、まず辞書のようなマニュアルを読むしかなかったですね。DOSの時代では、環境変数をセットするとか、ディレクトリをきちんと構成するとか、まずパソコン上で開発環境を設定するだけで大変でした。
 その上で、ライブラリなんかないので、自分でI2Cの通信を行う時にはポートを制御しながらオシロで波形を確認して、動作をチェックしながらサブルーチンを組んでいったものでした。その際もハードが悪いのかソフトなのかもはっきりしない状態で、ハード屋でありながらハードチェックするためのソフトを開発する時代でした。 少しでも資料を得ようと本屋で技術書を探したり、東京まで行って探したりした本は今でも大事にしまっていますね。 この動作の時にこのフラグが立つんだな?とレジスタを見ながら動作をチェックし、デバッグはもっぱらアッセンブラレベルでしたので、C言語とアッセンブラの両方解らないとデバッグできない時代でしたが、かえってCPUの内部がよく見えた時代でした。I2Cを開発した頃は、フィリップスの英文資料なんかを翻訳しながらプロトコルを確認したり、デバイスもPLL-ICなんかではデバイス側も英文マニュアルで、かなり英文読読むのが上手になった時期でした。
マニュアルレスの時代
 今はパソコンでもOSでも分厚いマニュアルが付くなんてことは無くなりましたが、昔はASCIIコード表や漢字コード表まで載っているマニュアルが3冊ぐらい付いていました。PDFやネットのQ&Aで分からない点を検索すれば良いので調べる時間も短くなりましたが、どうも私自身「直接の解決法」に目がいってしまい、解決してもあまり力になっていない感じがするのです。 たとえばバグが出た時に、ネットで解決法を調べ、それをそのまま(コピペの時もあるなぁ)やって解決してしまうと、何が原因だったか詳しく解明しないので、また似たようなトラブル時に応用して解決できないなんてことがよくあります。便利の分だけ、楽した分だけなにか身についてない感覚です。
本は高いが...
本を初めからキチンと読まなくっちゃと最近は買ってきたプログラミング本の初めから、そもそも論から読むように努力していますが、本代がかさみますね〜。

2010年7月17日 (土)

プリント基板でひどい目にあったはなし

プリント基板の品質とは
 もう13年前ぐらいになりますが、デジタル衛星放送受信機(DVB規格)の開発で最近サッカーで賑わった南アフリカに1人で出張した時のことです。ハードは日本国内設計で、OEM先は韓国、ファームウェアは南アフリカの会社で行うという混合チームで、試作サンプルを持ってハード評価にいった際の事件です。当時デジタル衛星放送が実際に開始されているのが南アフリカだけで、当然放送受信に対するノウハウを持っているのが現地のメーカーだけで、すでに国内で開発・認可されているのでDVB規格種取得も早いだろうと、現地に乗り込んだのでした。
 1回目に持ち込んだサンプルは国内で基板制作・部品実装・簡単な電源チェックなどしたものですが、なんとか現地でファームウエアが走り、回路接続ミスなどを発見してビデオ出力など評価できる段階まで持ってきました。
 当時4層基板などは高価だったので採用できず、安価な両面基板でCADの前段階から紙図面上で何度も引き回し・配置を工夫した成果もあってビデオ・オーディオの性能などは、現地のエンジニアからもほめられる出来でした。
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そしてプリプロダクション用サンプル
 2回目の出張は、韓国で生産する前のプリプロダクションを兼ねて規格認証サンプルを検査する仕事でした。サンプルを20台程度作らなければならないので、韓国メーカーに製作を依頼しサンプルが届くタイミングでの南アフリカ訪問でした。 私が到着して輸入手続きでごたごたして2〜3日後にサンプルが届き、さっそく動作実験に入りました。
 しかし1台目からうんともスンとも動きません。1回目にミスした配線はCADできちっと治っていますし、部品も問題ありません。しかしながら、よく見るとチップ部品端子の半田の量が多かったり、少なかったりで、LSIの足もヒゲなどでショートしている部分もありました。 製作した韓国に問い合わせてもらうと「時間が無かったので、人手を投入して全て手半田でやったよ。きれいに出来ているだろう」と自信満々です。基本的にこの手のデジタル製品の品質ノウハウに関して無頓着なようでした。
 日本メーカーでは20台をしかも1枚6000点以上あるような基板を、手半田でするなんて考えませんね。さっそく基板上の半田付けから再チェック、ICの足のブリッジなど現地のテクニシャンに手伝ってもらって直し、なんとかファームウェアが動き出しました。
まだおかしい
 動作チェック用のプログラムを入れてチェックし始めると、5台に1台ぐらいしか最後まで完全に動作しない...どこか配線が切れているようで何かのタイミングでエラーになってしまう。エンジニアの1人が「基板をたたくとエラーになるよ」と教えてくれた。そのあたりの部品を確認し再半田しても変化無し。どうもこのラインがおかしいと思うラインをテスターで導通を測ると1KΩ??パターンのラインだから切れているか0Ωかのはず...と思って そのラインを繋ぐスルーホールの上下で測ると1kΩ!「えー!」と思わず叫びました。そこら辺のスルーホールがやたら導通がおかしい。なんと原因は韓国メーカーでの基板作成時のスルーホールメッキの品質不良でした。
対策は
 20台も直すなんて不可能だから、日本の本社と相談し作り直すことに,,,
とりあえず1台はスルーホールビアに細い線を通して半田付けして(LSIの下は半田を流し込むだけぐらいでしたが)、CAD修正点などミスが無いことを確認し、ファームウェア確認用として現地に残しました。
で、仕事が早く終わったので
 サンプルを全てチェックするつもりで立てた日程でしたし、飛行機はもちろんFIXなのですぐには帰れません。で..Gammaとかいう自然公園(サファリみたいなやつ)に営業のおじさんと1泊旅行..
 苦労あれば、報われることもありますね。 結局その後あと2回も南アフリカには行くことになりました。当時マクドナルドがありましたし、中華料理店もありました..でもけっこう1人で歩くには怖かったなぁ


2010年7月10日 (土)

今月号のトラ技

今月号(2010年8月号)のトランジスタ技術は
「チップ部品・活用全集」ということでこのブログでもよく読まれているコンデンサーの周波数特性などチップ部品に関する情報がいっぱいです。なかでもチップコンデンサーに関しては電圧による容量値の減少や、「あまり小さいサイズは高周波特性がいいが ESRが大きくなっているので、そこそこ大きめの方が良い」など、実用的なアドバイスがいっぱいです。「電源の入出力は0Ωチップで分離できるようにしておく」など、テクニックの項も必読です。先月号(トランジスタ技術 2010年 07月号)の「基板づくりチェックリスト」にもまして内容が濃い。お買い得ですね。

2010年6月 4日 (金)

「分からない」を知る

「分からない」を知るとは
まったく初めてな仕事、やったことのない開発をやらなければならない時どうしますか? 誰かに聞くにしても、何をどう聞いたらよいのか想像もつかない...なんてことに出会った場合、どうしますか?
ハード的には
まずその内容が、世の中にすでにあるもの・あるいはその改良版など、理論的に実現可能かどうかを確認しましょう。「タイムマシンを作れ!」なんて無理はすぐ分かりますね。分からない時はまずネットで調べるか、分かりそうな友人・学者・メーカーに聞いてみる。全く可能性のないような場合は、「自分がその研究者になるんだ」などの決意をもってやる以外では、きっぱりあきらめましょう。
しかしながら、立場的にやらなければならない or 出来る可能性を信じて....チャレンジ精神で「やってみよう」と、とにかく開発を決意したなら、次の内容をチェックしてみましょう。
1)仕事の内容によっても違いますが、現在自分の出来る部分はあるのかないのか。
2)自分の出来そうな分野以外は何が必要なのかを明らかにする。Know
3)会社のチームで各分野を任せられる体制があるならば、それらを任せます。
4)いよいよ自分の担当分野で、やらなければならないことがはっきりしてきたならば、それらをさらに検討します。
 たとえば、あなたの担当分野が「高出力のiPod用のFMワイヤレスアダプタを作れ」だとしましょう。FMワイヤレスだったらできそうですね。ここで、あなたが「何が分からないのか」をはっきりする必要が出てきます。開発とはやはり何か未知な事を試作・実験を通じて実現してゆく事ですから、何も分からないことが無ければすぐに作れるでしょう。逆に「何からやったらいいのか、何から手を付けたらいいのか分からない」ことが一番不安で、問題なのです。
 上記の例では、
1) FMワイヤレスICがあることが判るし回路図もあるだろう
2)iPodとの接続はしたことないからわからない
3)高出力ってどれだけ出ていいかわからない
4)試作するにはどうしたら
など漠然とでも良いので自分の判っていること、判らないことを出してみましょう。
「FMワイヤレスのICがあることは判っているし、製作記事も見たことがある。それならば最新のFMワイヤレス用のICを探してみよう。」と動ける分野と、「iPodと接続なんてどうしたらいいのか何も判らない」となれば、とにかく「iPodのコネクタの接続仕様が入手できるか、既存のアダプタを買ってきて分解してみようか?」 高出力ってどれくらいかなと、日本国内での電波法を調べる必要がある。「その出力を出すにはどのトランジスタが必要か?」「試作するには基板作成はCADで出来るから、基板が出来た後、調整するにはどのような測定器が新たに必要か?」など既存の手法の動きを始めることが出来るでしょう。
ソフト的には
開発・技術関連の仕事は「分からないこと」があたりまえです。「分からない」ことよりも、「何が分かっていないかが分からない」ことが一歩を踏み出せない原因です。まずは落ち着いて、自分が分からない・弱いことは何なのかをチェックしてみましょう。


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